お出かけ日記

 久しぶりにお出かけしました。普段どんだけだめ人間なんだという感じですが、暑いから五百メートル先の郵便局までいけないくらいのだめ人間。
 
 大学時代の友人どもと納涼マーニーの予定だったのですが、二人は仕事に行ってしまい、最初は男一人女二人でスタート。
 マーニー映画を見に行ったのですが、お盆なめてた。上映三十分前で完売。二時間半後の回の、最前列はしっこしか取れず。
 なにして待ってようか、といいつつだらだらしてたら時間が過ぎてた不思議。お昼は錦糸町の台湾素食料理のお店。小さい上にいろいろセルフだったけど、味がよくってリーズナブルなよき店でございました。

 マーニー。
 なにしろ最前列で辛かったので集中しきれなかったのですが、途中で何度も泣いてしまいました。
 女性だったら、思春期の痛み(成長痛)を感じたことのある人なら、ほとんどのひとが共感できる映画じゃないかな。
 予想通りだけど面白かったのが、同行した男性の評価が非常に低かった。ゲド戦記以来のジブリ失敗作、て言ってた。
 まあ男性には理解しがたい情感かもね、と思いました。男の子ってたいてい、二人だけで遊ばないし。一人の友達だけに集中することがまずなさそう。
 いっそ恋愛感情みたいな友情(でも依存でもなんでもいいけど)や身勝手な孤独を、知っているかどうか。が共感できる鍵かな。
 

 宮崎作品がひたすらに「生きる」ことを描いてきた作品ならば、今回のまろさんの映画は「生きることの困難さ」を描いた物といえるのかも。コッコさんの、私が死ねばいいと思った けれど私だけが生き残ることを信じてた(うろおぼえ)という歌詞が、なんとなく頭に浮かびました。
 すごく困難なことや困難な時代や難しい立場で、でも生きる、という強さとは一線を画した、生きるのに難しい時代でも立場でもないけれど、だからこそ生きる意義を見いだせないゆらぎのような弱さ。それが顕著にあらわれるのって思春期だし、この映画は、その弱さを表現して、なおかつ、生きるという強さを杏奈に持たせる。それはやっぱり、ジブリでなくては出せない味かと思います。

 ただ最後、マーニーの正体についてはちょっと蛇足かな、と思いました。いちばんおさまりのいい説明ではあるんだけど、イマジナリーフレンドのまま終わっても良かったんではないかなあ。
 ともかくマーニーはもっかい劇場で見ることを決意。

 
 映画後一人と合流して、両国の江戸東京博物館にて開催中のマーニー展へ。

 圧巻の一言。ジブリはどんだけ職人集団なのか、わかっているつもりでも今度も思いこみを軽く飛び越えた職人魂。
 湿っ地屋敷の設計図には興奮しました。平面から見取り図まで、古色つけて折りジワつけて本物の設計図みたいにサインまで入って。
 なぜこれをポスターにしない、と友人が怒っていたが、そりゃ無理だ。大多数の人は資料で買うんじゃないんだから。と窘められてた。横で「そうか資料で買わないのか」と思っていたのは秘密。でも物販は量が多いだけでたしかにいまいちだったな。ポストカードとかノートとかに全部「おもいでのマーニー」と入れるのはいかがなものかと。

 展示はすばらしかったです。
 マーニーの部屋とか廊下の壁紙、ペインティング。実物大の出窓、石や木材の年代感や擦れ感、ペインティング。恐ろしい、ジブリ本当に恐ろしい。職人魂恐ろしい。
 おののきながら見たマーニーの部屋は、本当にすてきです。刺繍のベッドカバーやティートレイの敷布。写真不可がなぜだ、これは舐め回すように写真撮る用の展示だろうと思いましたよ。すべすべの石とかやり途中の刺繍とか、マーニーの孤独な暮らしぶりが反映されていて、胸がいたくなるほど「少女の部屋」でした。
 まあ、少女の部屋を盗撮しちゃいけないよね・・・。と自分を納得させてみたいんだがどうにも悔しい。
 
 杏奈のスケッチやマーニーの日記なども展示されていて、本当に二人が存在しているような気持ちになったり、かと思えば「これは創作ですよ」と突き放された気になったり。
 

 閉館後、最後の一人も合流して女三人男五人で両国のイタリア料理店へ。
 ほんとうは四つのものを五つもってくれたりして、サービスの良いお店でした。
 今は地元で農業見習いやってる人が「俺、いずれは大麻(おおあさ)作りたいんだよね」と言っていたのが印象的。大麻(たいま)って作るの全面的に駄目なのかと思ってたけど、医療用に栽培が許可されてるらしい。ただ厳しい免許制だから、あと何年か先の話になるらしい。この年になって「何年か先」の目標を語れるって素敵なこと。

 とても楽しい日でした。たまにお出かけ楽しいね。でも次回は涼しくなってからお会いしたいわ。とくに都会は、エアコン室内(車内)と外気温と湿度の差が激しすぎて、老体には厳しいでござる。

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